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スズカマンボが天皇賞馬という現実をどうしても受け入れられず、何なんだろうということでイロイロ調べてみました。結果、昨秋に散々だったダービー上位組の中で、スズカマンボってソコソコ頑張った馬であることが判明。ダービー上位組のその後を列挙してみましょう。
1着 キングカメハメハ
秋緒戦の神戸新聞杯を勝って故障→引退。
2着 ハーツクライ
秋緒戦の神戸新聞杯を2番人気3着の後、菊7着、JC10着、有馬9着。立て直した大阪杯でようやく2着。
3着 ハイアーゲーム
秋緒戦のオールカマーを1番人気4着の後、菊11着、JC13着、有馬6着、ダイヤモンドS4着。
4着 キョウワスプレンダ
ダービーを最後に休養中
5着 スズカマンボ
秋緒戦の朝日CCを1番人気1着の後、菊6着、鳴尾2着、休んで大阪ハンブルグ3着。
6着 ダイワメジャー
秋緒戦のオールカマーを2番人気9着の後、秋天17着。休んでダービー卿1着。
勝ち馬が故障のため引退、4着馬も戦線離脱中、2着馬は秋が全然ダメで3着馬は今も全然ダメってのがダービー上位組。レコード記録レースってことで軒並み反動が抜け切らない中、スズカマンボって頑張ってたんだなあということに気付きました。
秋緒戦を勝ってなお生き残ったのって、スズカマンボとコスモバルクだけ。2着まで広げてもホオキパウェーブ(←皐月賞不出走)が引っかかるくらいです。ちなみに、コスモバルクはダービーが年明け3戦目だったのに対し、スズカマンボは年明け5戦目。皐月賞の後に京都新聞杯を使った馬です。2歳時はのんびりしていたかというとそうではなく、夏の北海道デビューから休みなく使われ、朝日杯にも出ていました。コスモバルクの頑張りに拍手を送るとともに、スズカマンボにもタフネスシールを貼ってあげたい気分です。
また、何度も何度も書いていますが「満足に馬を仕上げられない橋田調教師管理馬」でもあります。例に漏れずメチャクチャな体重推移で走らされているので、触れてみましょう。
<3歳以降のスズカマンボの体重推移>
京成 486
(休養2ヶ月)
若葉 478
皐月 474
京新 476
優駿 478
(休養3ヶ月)
朝日 476
菊花 486
鳴尾 486
(休養3ヶ月)
大H 482
春天 484
……これで菊花賞6着は強いと思いません? ちなみに菊花賞って、1,3,5着馬はダービー不出走で、2着ホオキパは皐月賞不出走。ツルツル高速馬場だった春2冠を走らされた馬の中では、バルクに次ぐ2番目にゴールインしている。強い弱いは置いておくにしても、とにかくタフな馬であることは見て取れます。
と同時に、「スズカマンボって、すべてのレースをマジメに走るタイプではないんじゃないか」という気もしてきました。あのダービーが全力を出していないのに5着だった(だから秋緒戦を勝てた)としたら、実は強い馬なのかもしれません。母の母Key Flyerはダンシングキイと同血。ダンスインザダークとかなり近い血統構成でもあります(下の血統表参照)。「スズカマンボ? ないない(笑)」とナメていた私が、どうやら間違っていたようです。
「父か母父にミスプロを持った馬が走る」という、降り始めの馬場特有のバイアスが掛かっていたんで、レース直後は「ああ、雨降って母父ミスプロでワンツーね、はいはい」くらいに思っていました。ただ、淀の長距離G1勝ちにフロックなしってのが持論なので、いろいろ調べてわかったことを書いてみた次第。「春天も地に堕ちたもんだ」なんて思いたくなかったんで、ええ。
3代血統表 スズカマンボ
牡 4歳 2001年 鹿毛 (静内町)*サンデーサイレンス 1986年 青鹿 (米) |
Halo 1969年 (米) |
Hail to Reason 1958年 |
Cosmah 1953年 | ||
Wishing Well 1975年 |
Understanding 1963年 | |
Mountain Flower 1964年 | ||
*スプリングマンボ 1995年 鹿毛 (英) |
Kingmambo 1990年 (米) |
Mr. Prospector 1970年 (米) |
Miesque 1984年 | ||
Key Flyer 1986年 |
Nijinsky 1967年 (加) | |
Key Partner 1976年 |